2020九州の旅 一番行きたかったところ

2020九州の旅 一番行きたかったところ

ルーフテントと軽キャンのメジャー代表三宅です

九州旅行で一番行きたかったところ

それは知覧の特攻記念館

ある本を読んで知覧の特攻記念館を知った

本で語られていたのは、実際の特攻隊の教官の話

今ではうろ覚えだが、心に残っている

そして確かめたいという気持ち

特攻隊に志願し散っていった方たちの本当の気持ち

決して「美しいものではない」と思っている

だって日本が戦争に負けることは分かっていたと思うから

どんな気持ちで家族に手紙を出したのだろう

そして手紙の内容は本心だったのか?

それを知りたかった

本心は本人しか分からないが、そこに行けば、何か感じられると思った

死というものを娘に感じて欲しい

特攻記念館、念願だった特攻記念館

遂に来れた、娘と一緒に来られたのも私は嬉しい

死というものを知ってもらいたい

あなたの母親がどうゆう想いを残して死んだのか?

幼稚園の年少組だったあなた、記憶には残っていないことは知っている

死というものがどんなものか、それを志願して逝った人たちの想い

ここにはあると思う

何も言わないから、自分なりに感じてほしい

天皇よりもお母さん

櫛さんと三宅と次女、この組み合わせもそうなっていたのかな

三者三様にみんなちがう想いがあるだろう

櫛さんはここに来る前、手紙の内容をほんの少しだけ教えてくれた

天皇万歳、手紙にはそう書いてある

そんなことを本心で書いているのだろうか?

櫛さんの言う通り、みんな国の為、天皇の為に死ぬことを誇りにおもっていると手紙には書いてある

でも本心は今まで育ててくれてありがとう

そしてごめんなさい

お母さん

みんなお母さん、お母さんはそれだけ大きな存在

もしかしたらお母さんの為なら、この当時は喜んで死ねたのかもしれない

そう思った、お母さんの為なら......

特攻隊の最年少は18歳くらいだったと記憶している

18歳で国の為に喜んで死ねるのか?

三宅が知りたかったのはそこ

その為に知覧に行った、自分なりの答えを出すために

教育は怖い

答えは出た、自分の中でだが、やはり思った通り

教育は怖い

当時の教育がみんなを死なせた

お国の為、そんなことで人が死んでもいいのか?

大体、日本があらゆることに困って他の国を攻め、招いた結果がこの戦争

負けるのが分かっていながら

これから楽しいことが一杯つくれた人からすべてを奪った

それが戦争、

今の時代のように、ネットがあれば、そうはならなかったかもしれない

時代は今とは全然違う

貧困、教育の問題、様々な足りないものを数えたらきりがない

特攻隊の飛行機を見た

絶対に倒すべき敵だとしても、私は飛びたくない

その死になんの意味があるの?

戦闘機ってこんなに貧祖なの、みんな分かっていたはず

行きの分の燃料だけで、こんなに薄い鉄板の戦闘機で辿り着けるの?

少しでも気持ちを分かち合えたら

いくらでもスラスラ書けます

しかしこれくらいの方がいいかな

最後に

特攻隊は知覧から出発し、開聞岳を越えていくんです

その先は海が広がっています

そこで引き返せないことを覚悟するんです

死にに行くんです

私は開聞岳のキャンプ場で櫛さんたちとキャンプしました

初めて見た開聞岳、本当に見事、キレイなんです

次の日、特攻記念館の帰りに開聞岳のすぐ近くを通る機会に恵まれました

昨日と全く違って見える開聞岳

特攻隊で散っていった方たちの気持ちを考えてしまいます

キレイですが、寂しい感じがしました

でも行って良かった

娘とはその話はしません

娘に子供が出来たら連れて行って欲しいなあ

次の世代の子供がどんなことを感じるか?

みんな違っていいと思います。

いつもと違ったシンミリした内容となりました

この記事を読んで少しでも気持ちが伝われば幸いです

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